運指の歴史 / 昔は親指と小指は使っていなかった


piano

最近「The Art of Piano Fingering」という鍵盤楽器の運指に関する本を読んでいます。

運指は鍵盤演奏家にとって重要な問題ですが、意外と体系化された情報がありません。もちろん、しっかりした先生につけば「こういうときは、これがいいよ、あなたの手の大きさならこっちのがいいよ」と的確なアドバイスをくれると思います。しかし、先生についてない人にとっては、結構ブラックボックスで、何かいい本はないかなあ、と思っていました。「The Art of Piano Fingering」は最適な本でした。

この本の冒頭に「運指の歴史」が記されており、とても面白かったので紹介します。

現代の私たちは、片手5本の指を当然の使っていますが、16世紀より前には、親指と小指以外の、3本の指だけが使われていました。その理由はいくつかあるようですが、アクションが軽い、また楽曲も簡単である、黒鍵が必要になるような難しい調はあまり使われていなかった。そのため、親指や小指を使う必要がなかったということのようです。

加えて、鍵盤の位置が高く、肘が鍵盤よりも下がり、指も伸ばした状態に近いポジションが一般的であったため、小指と親指を鍵盤の上に難しい。結果として小指と親指は、鍵盤の外に出ていたようです。なるほど。面白いですね。

そしてバッハのThe Well-Tempered Clavierが大きな転換点になりました。バッハはすべての調の楽曲をつくったので、黒鍵を多用する必要が生まれました。黒鍵が多用される楽曲をうまく演奏するためには、親指と小指も総動員する必要があった、ということだそうです。このころには、指は伸ばした状態ではなく、現在のように指を曲げた形になっていました。

さらにベートーヴェンやショパンの時代には、作品が難しくなり、より一層の運指法の改革が要求され、発展しました。

現代の奏法が確立されたのは、ピアノが鋳造のフレームと重いアクションをもつようになったことで、指の力だけではダメで、手首や前腕の動きが必要になったことが契機となりました。

こうしてみていくと、作品と楽器の変化が、運指の歴史と結びついていることがわかります。音階の歴史でも感じたことですが、現代の私たちが当然だと思っていることの多くは、昔は違ったんですね。まさか3本指で演奏していた時代があったとは…調べてみると面白いことがたくさんありますね。

ではまた!!!


 

16世紀より前には、鍵盤楽器に関する詳細な運指法はありませんでした。なぜなら、鍵盤楽器が現代のものほど複雑ではなかったからです。楽曲は単純な調で書かれており、ほとんど黒鍵を使用する必要がありませんでした。(実際には当時の鍵盤は黒い鍵盤でした。現代ピアノの白鍵にあたる位地に黒鍵が使われており、白黒逆の色の鍵盤配置でした。) 17世紀後半まで、親指と小指は鍵盤演奏においてほとんど使用されませんでした。親指と小指は鍵盤の外側で宙ぶらりんになっており、残りの三本の指だけが使用されていました。現代のピアノよりも高い位置に鍵盤があった当時には、3本の指だけを使って演奏する方が5本指を使って演奏するよりも、容易だったのです。また親指と小指を鍵盤より高く上げることが難しいという事情もありました。肘を鍵盤よりも下げて演奏することが普通だったからです。現代のように肘を鍵盤とほぼ平行にはしていませんでした。

指番号は様々な方法で記されてきました。Alessandro Scarlatti (1660-1725年)はDomenicoの父ですが、彼は数字の代わりに、指記号を使用していました。18世紀中頃になってやっと、親指を数字の0で記す音楽家が現れました。

Francois Couperin(1668-1733)による記念碑的な著作である「L’Art de toucher le clavecin(The Art of Harpsichord Playing)」が1716年に出版されました。これは彼の著作の中で最も有名なものであり、運指方や装飾やタッチなどの鍵盤演奏技法を示しています。バッハは彼の著作に影響を受け、Cuperinがハープシコードのために設定した運指法を採用しました。この運指法では親指が使用されます。

Johann Sebastian Bach (1685-1750) は音楽の偉大な革新者であり、同時に運指法の革命家でもあります。彼の多くの調で機能する調律(Well-Tempering)と楽曲によって、演奏技術をも拡張する必要が生じました。黒鍵は白鍵と同じくらい重要性が増し、そして親指と小指が鍵盤の上に置かれ、全面的に使用されるようになりました。結果として、黒鍵を含む全ての鍵盤上を使い、しなやかな演奏ができるようになりました。親指は交差の軸となり、手のポジションを上下げたりするための重要なものとなりました。これによりスケールやアルペジオを滑らかに演奏できるようになりました。

当時はまだ親指と小指は黒鍵の上では自由には使用されていませんでしたが、この革新が現代のピアノ奏法につながっています。指を軽く曲げた奏法は、以前のような指を伸ばした奏法よりも、より柔軟な演奏を可能にしました。

Jean-Philippe Rameau (1683-1764) や彼の同時代人は、彼平均律のシステムを発展させ、また五本の指と左右の手を独立させました。

もう一人の鍵盤演奏における革新的な人物は、Domenico Scarlatti(1685-1757)です。彼はバッハと同時代の人物です。彼は演奏技術を発展させ、手を交差、広範囲にわたるアルペジオ、重音のフレーズ、同一音の素早い反復、といったテクニックを生み、現代鍵盤奏法の父として知られています。

バッハの息子や、W.A.Mozart (1756-1791)や、18世紀の卓越した音楽家・演奏家達は、鍵盤演奏の技術と運指法を発展させ続けました。J.S.Bachの息子である作曲家Carl Philipp Emanuel (1714-1788)は、1753年にVersuch uber die wahre Art das Clavier zu spielen (Essay on the true art of playing keyboard instrument) を出版したことがよく知られています。C.P.Eはこの本の第1章を運指法に割いています。

モーツァルトを含む鍵盤奏者の達人たちは、ハープシコードの専門家です。ピアノに特化した情報は、Muzio Clementi (1752-1832) によって初めて提供されました。彼は1773年にピアノで演奏されることを意図したはじめてのソナタを作曲しました。

18世紀後半と19世紀にはClementiやJohan Nepomuk Hummel (1778-1837) , Carl Czerny (1791-1857) , Adolph Kullak (1823-1862) といった音楽家がピアノのための技術と練習の本を書きました。

19世紀には、Beethoven (1770-1827) , Chopin (1810-1849) , Liszt といった音楽家による濃密な音楽に対応するために新たな技術が必要とされ、運指法の技術はより一層の高みに押し上げられました。

長い間、ピアノの教授法において、親指は黒鍵に使用しないことになっていましたが、ショパンやリストの時代に変わりました。現代ではどちらの鍵盤、どんなフレーズにおいても、親指を使用します。

19世紀の譜面を見るとわかりますが、現代ではフル活用されている親指は、ほとんど使われていませんでした。古い指番号のシステムが使われており、1番の指は人差し指を表しています。これはバイオリンと同じ方式です。しかし鍵盤奏者が親指を当然の時代になると、新しい表記法が必要になります。そこで指番号のシステム全体は変えずに、イギリスの編集者は(+)のマークを親指のために追加しました。(+)マークが親指をあわらし、また他の指は現代の表記法と比べると番号が1つ多くなっています。

20世紀の初期においては、ほとんどのピアノメーカーは鋳造の鉄製のフレームを採用していますが、これは19世紀の前半に発明されました。これにより、大きなホールに必要な大きな音を出せるようになりました。結果として非常に重いアクションが必要になりました。加えて、運指法だけでは、どんどん難しくなっていくレパートリーに対応することができないことが明らかになってきました。新しい奏法では腕の重みを使用し、手首と前腕の動きが必要です。重いキーボードアクションと新しい奏法が、新しい運指法を必要としたのです。

我々の時代においては、様々な運指が様々な楽譜の中で示されています。ピアニストや先生の中には、楽譜に運指が示されていることを好まず、運指がない楽譜を好むもいますし、入念に編集された運指を好む人もいます。多くの卓越したピアニストは自分の知識や理解、経験に最適な運指を選択しています。

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